セックスは「してはいけないこと」なのか (5)

書いた人: 妻

 セックスは「してはいけないこと」なのか (1)
 セックスは「してはいけないこと」なのか (4) の続きです。

 

 「妊娠が嫌ならセックスしなければいいのに」と言う人と、ゆるいセックス観でセックスする人は、同じではないかもしれないし、同じかもしれません。

 妊娠した/させた人間を「アイツはしくじった」と揶揄する場面は、何度見たかわかりません。
 セックスを基本的には肯定していて、自分もセックスをしているのに、するのが普通と思っているのに、なぜか失敗して妊娠すると「ソイツが悪い」

 

 

 日本で選択できる避妊方法 (1) の冒頭にて、私はこう書きました。

 あんまりこれを書くのは好きではないのですが、セックスは一応「生殖行為」なので、セックスをすれば妊娠する可能性は0ではなくなります。  なぜ好きではないのかというと、人間は知能的文化的に大変発達し、生殖以外の性行為という側面に強い意味を見出すようになったので、生殖行為だけを目的に限定することは随分と強引な話になってしまうからです。

 極端な話をするなら、子供が欲しい時、子供を作ってもいいと思う時にのみセックスをして、それ以外の時には禁欲をすればよい。
 強姦などはさておき、そうすれば「避妊に失敗した」なんて機会とは巡り合わなくなるのだから。

 これが正論であるように思えてくるなら、それは「セックスなんて本当はしてはいけないことと思っているから」ではないでしょうか。

 人は誰かに恋焦がれて、異性あるいは同性を自分以外の人として好きと思いながら、同時に相手と性的な接触をしたいと思うようになります。
 それは男女、LGBT、国、人種関係なくです。

 今好きな人がいる人、恋人がいる人、配偶者がいる人に、前述の禁欲について「それは正論だ」と思いながら、実際にそれを実行できている人は稀でしょう。
 やっぱり人は、好きな人が出来てその人とお付き合いなんなりが始まれば、やっぱり接触したいと思うようになる。
 そうでないことが異常とは言いませんが、それはごく自然のことに思います。

 以前にツイッターで知った記事があります。
 医学書院(医学系専門書の発行を主にしている出版社) 発行の、週刊医学界新聞バックナンバー記事に「連載〕続 アメリカ医療の光と影  第82回」という回があります。

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2679dir/n2679_04.htm

 誤読していれば誠に申し訳ありませんが、素人なりに内容を読みますと……
 (間違っていたらご指摘ください、特にキリスト教関係には疎いもので)

 1963年にカトリック内にて「ピルという避妊法をカトリック的に容認するか否か」という議論になり、一般信者にヒアリングを行った。
(正確にはヒアリングの為に呼ばれた夫婦が他の一般信者へアンケートを取り情報として持って行ったものも含む)

 それまでカトリックは、安全そうな期間のみのごく短い間のみセックスをする、「周期法」による避妊を取らせていた。月のうち3週間は禁欲生活をし、周期的に安全そうな数日のみセックスをするというもの。

 しかし、アンケートの中から特に印象的な言葉として、信者の女性の「周期法は悪魔が作った方法」という声を挙げる。
 夫も妻も禁欲生活を強いられることで色んな悪影響が出て、ギスギスと生活を送ることになった為だと。もちろんそれは「男性が禁欲を強いられてイライラした結果、女性にも影響が」ではなく、女性にとってもセックスはとても重要なのだ、と。

 「いつ子供ができるかという不安に苛まれている妻は,本当の愛のパートナーとはなりえませんし,夫や,性交そのものだけでなく,人生そのものを疎んじるようになるのです。」

「私たちの生き様は,『方法』に振り回されるべきではありません。『生きる』ということは,お互いを受け入れ,許し,すべてを与える,素晴らしい時を共有することに他ならないからです」

「夫と愛の時を分かち合った翌朝はとても満ち足りた気持ちになりますし,子供たちに対してもいつもより寛容になれるのです。交接のオーガスムと『体中に虹が輝くような素晴らしい感覚』がもたらす精神的平安ほど,家庭の平和に貢献するものはないのです」

 私はこの二文、  “夫と愛の時を分かち合った翌朝はとても満ち足りた気持ちになりますし”、  “交接のオーガスムと『体中に虹が輝くような素晴らしい感覚』がもたらす精神的平安ほど,家庭の平和に貢献するものはないのです”、  に大変心打たれ、ああ、そうだよね、そういうことだよね、と感銘を受けたのです。

 これが53年も前にカトリック、法王委員会にて行われた報告された内容の一部です。
 53年も前に、カトリックで「ピルを容認するべきか」という議論がなされていました。
 実際に信者の多くは容認に傾いていました。

 日本はというと……

 セックスは皆がするもの。基本的には幸福の為に。そう肯定的に捉えても、いいのではないでしょうか。
 もちろんそうでないセックスもあるでしょう。不幸なセックスは少ない方が、もちろん良い。でもそれは個々の人と人との関係そのものの問題であり、男女のセックスの問題ではないのです。

 そのセックスについて、妊娠のコントロールが技術的に叶うのなら、それはできるに越したことは無いし、皆が選べるに越したことはありません。

 皆がする当然のこと。そういうスタートから始めないと、いつまで経っても日本は「妊娠したくなければしなければ良い」から何も進みません。
 それは完全禁欲主義の中世カトリック並です。

 それぞれのセックスを「個人的な事」として扱うと、「社会の少子化」も個人的なことの延長に過ぎなくなってしまいます。
 社会は「少子化を防ぐべく(言うなれば)国力を挙げる為に次の世代の子供を産んでほしい」、その為には、極端な言葉を使えば「国民にはセックスしてもらわなければならない」
 性行為は個人的なことではなくて、実は社会的な営為なわけです。

 社会的な視点から見た時、避妊の意味合いは随分と印象が変わってきます。

 つまり「経済的にタイミング的にちゃんと準備が整った段階で懐妊・出産をすることで、子供をちゃんと育てられるようにする」、その為に出産ができない時期には信頼性の高い避妊方法を取れるようにすること。これが社会の急務になるわけです。
 (今の日本経済が子供を産み育てられる状況にあるかどうかは一旦置いておいて……)

 避妊は権利と言われる由縁は、こういうことだと私は理解しています。  そしてそれは、女性の権利であるけれども、同じにパートナーの男性の権利でもあると思っています。
 確実な避妊が叶うのなら、幸福なセックスをしてもいいのではないか。ただ純粋にそう思います。そういうことだと思っています。

 

 これだけの文面では、肯定的に受け取る事は難しいでしょうか。
 では、あなたにとっては何が「正しい」のでしょうか。
 やっぱり、セックスをしないこと?


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オナホール2

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