昔々のMステの話

書いた人: 妻

 こんばんは、一応冬は服を着たり着なかったりの裸族ですが室内では半袖が多いです、瑞谷です

 なななんと、このブログは毎週の定期更新になった上に、週三回も更新することになりました。
 私・瑞谷藻緯(妻)が金曜更新、夫(名は今の所ない)が月曜水曜更新ということだそうです。しばらくはこのスタイルで行く予定です。

 

 昔も昔、JUDY AND MARYがまだ解散していなかった頃、Over Driveかドキドキあたりの時期だったでしょうか。
 ミュージックステーションにて、ボーカルのYUKIちゃんが喋っていた内容をとてもよく覚えています。

 視聴者の方からの相談や質問コーナーにて、YUKIちゃんに宛てられたコメント

「彼のアレを見てしまった……!」

 あーわかるー。初めて男の人のチンコ見てしまった時って、めちゃめちゃ驚くよね。私も大変によくわかります。36歳になった今でも、その時の感覚は思い出せます。

 それに対するYUKIちゃんのお答え

「最初だけじゃない?」

 YUKIちゃんは基本的に下ネタ大好きなユーモア溢れる女性で(思えば今のソロ活動が主になったキャラクターと当時とは全然違うんですが、またそれも彼女の魅力なわけで)、こういう瞬発的な返しがとても上手かったです。

 ひな壇後方に居た、シャ乱Qのつんくさんが「そのうち慣れるってか~」と手を叩きながら笑っていたような記憶があります。

 

 別の放送回では、クラスの男の子にからかわれるみたいな相談があったような気がするのですが、それに対するYUKIちゃんのお答えは

「私も言われましたよークラスの男の子に。おまえ、毛、はえてんのかヨ(つんつん)って」
「今だったら、“ああーモジャモジャさー”って言えるけど~」

 そうだよね、今なら私も言える。

 でも、下の毛が生え始めた当時は、自分の身体が、線を引いた向こうの世界、大人の世界に勝手に入ろうとしているようで、それがすごく嫌な物のように思えて、自分が性的な身体になっていっているような気がして、そしてそれをからかわれたような気がして、本当に嫌だったよね。

 でも、大人になると、自分のそういう身体をいいものとして受け入れられるようになった気がします。もちろんパートナーの身体も、もちろん冒頭の陰茎も、そういうもの、いいものとして受け入れられるようになっていきました。

 

 性教育とは、本当の意味の正しい性教育とは、セックスをする方法を教えるということだけではありません。セックスの仕方だとか、避妊の方法だとか、受精着床出産だとかの話はごく一部に過ぎないのです。

 性教育とは、自分自身を知るということ。自分自身の性を知り、自分という人間を知り、セクシャリティ含めて、肯定できる、愛せるようになるということ。

 

 JUDY AND MARYのYUKIちゃんの話っぷりは、当時の私も含めたティーンには衝撃的だったのではないかと思います。でも、全然嫌ではなかった。良い面白いお姉さんのようなイメージでした。ああそうか、そういうものか。それでいいんだ。そんな風に思ったような記憶があります。

 

 性嫌悪なんて大層な言い方をしますけれども、性的な物を嫌だと思う感情は、何かひとつの出来事で培われたものではありません。
 生まれた時から囲まれた環境で、そこに居た人たちのひとつひとつの言動・行動から、メディアから、色んなものをちょっとずつ重ねて出来あがって来たものです。

 だから、それを払拭することは簡単ではない。
 ある日突然にさっぱり忘れられる日が来るわけではない。
 だって、きっと多くの人は「それが正しい事」と思って今まで生きてこられたと思うから。

 「エッチなことはダメなことだからダメ」とずっとずっと教えられて生きてきていたら、

 例えば
 「セックスは本当はしてはいけないことだから、妊娠する覚悟を持ってセックスするべき
 を絶対的正しさに感じるでしょうし、

 避妊が上手く出来なければ
 「妊娠したくないのにセックスした奴が悪い
 で終わってしまうでしょう。

 そこから考えを変えることは、とてもとても難しいです。

 

 でも、そうじゃないんだよと言える大人が沢山いれば、きっと皆生きやすくなる。
 女性も、男性も生きやすくなる。私は本気でそう思っています。

 だから私は、あの時のJUDY AND MARYのYUKIちゃんのような面白いお姉さん(もうおばさんですが)になりたいと、今日もこんなことを書いています。


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