SEXのことしか頭にないのか

書いた人: 妻

 こんばんは、好きな家事は料理、嫌いな家事は掃除です瑞谷藻緯です

 食べるの大好きマンなのでしょうがないです。うちの夫は言うほど綺麗好きではないので助かっています。言い訳すると彼が一人暮らしの時には私の方が我慢ならず時々掃除をしていました。

 

 過去に何度か言われました。
「セックスのことしか頭にないのか?」

 そのままの言葉でなくとも、まま近い言葉だったりです。

 このようなブログをやっていたり、またtwitterでも他の女性と比べれば明け透けに下ネタやセックスについての詳細な話を書くものですから、それを好意的に捉えてもらえる場合もあれば、逆に嫌悪感を抱かれることもあるのは仕方ありません。(嫌悪感が生まれない社会の方がそれはそれは良いですが…)

 ネット上でも私個人への非難のつもりでか、そのような言葉を吐かれた事は二度ほどあります。

男性相手なら変わっていたのだろうか?

 これらの言葉の意味合いには、いくつかの側面があるように思います。
 ひとつは「夢中になれることがそんなことしかないのか」という侮蔑。
 もうひとつは性的なことそのものへの侮蔑。偏見と言ってもいいです。

 そこからの延長でそういうことを書ける(言える)私個人への攻撃。ここまで来ると殴れる武器はなんだっていいというような印象ですね。

 

 すべて推測や感覚で書くので特別根拠らしい根拠はないのですが、これがもし男性相手にだったら言い方や意味合いが多少変わってくるのではないか、などと思って見ています。
 というのは、この言葉からはどことなく「女の癖に」という感情がこもっているのではないか……と私は感じるからです。

セックスは男の為にあると思う人がいる

 夫の知り合いの方の何人かは「セックスは男の為にある」と本当に思っているらしいという話を過去に聞いています。
 つまり、自分の射精の為にセックスはあるので、女性が達しているかとか、どうすれば気持ちよくなるかなんていう情報は必要ない、中には「そんなことを言われると萎える」ということを言っていた人もいます。

 「萎える」と言っていた方とは私も夫経由で面識があったのですが、ごく普通の男性でした。良識あって少しゲームが上手くて、喋れば面白くて、ちょっとだけオタクぽい。

 女性が「こうしてほしい」という性欲を露出させることに嫌悪感を覚えたりする、女性の性欲そのものを認めたくないという人が、世の中には結構存在するわけです。
 私への言葉は、根底には一部そういうものがあるのではないかと思っています。

皆沢山のものを抱えて生活している

 文面通りの言葉を受けると、「セックスのことしか頭にない人間」なんてエロ漫画の中にしか存在しません。謎の薬を飲まされて……的シチュエーションのような頭の人間が現実に存在すると思っているのでしょうか。

 皆普通に一生懸命生活を送っていて、仕事もすれば恋もするし、家事もしなければ生活はできないし、スポーツや音楽や創作などの熱中できる趣味もあり、あるいは人間関係のトラブルに見舞われたりと、大抵の人はなんだかんだと忙しいです。生活の空きすべてを性的なことに向けられるなんて人間、いるはずがありません。

 

 でも、例えば恋人との喧嘩を引きずっていてどうしようか一時期すごく悩んでいたり、仕事でミスをして落ち込んでいることをしばらく考えこんだりするように、セックスについても深く思い悩む時があります。ただそれだけです。

 そしてセックスは、それらと同じくらい大切なことだと思うわけです。セックスを嫌なことだと思う人生がどれほど苦痛か、想像に難くないと思います。ひょっとすると嫌だという感覚を見過ごされているかもしれません。

 

 それらは、実際に恋愛を、セックスを経験していれば解る感覚なのではないかと思います。案外上手くいかないし、案外落ち込んだり傷ついたり、辛くて頭がいっぱいになったり、みんなしてきています。だから誰かに話せば「わかるー」と共感を得られたりもします。

 そういう経験があれば、ひょっとすると「セックスのことしか頭にないのか」という言葉は出なかったかも、わかりませんね。

最初から上手くいくイメージなんて本当にただの幻想

 沢山のメディアに囲まれる現代では、漫画や小説などの創作作品にとても多く触れられます。

 創作作品の中では、例えば簡単に気持ちよくなってしまう女の子や、なんだかんだ二人とも満足しているように見えるセックスが数多く描写されている為、なんとなしに「自分もいざ恋愛してセックスすればあんな風に気持ちよくなれるんだろう」と漠然と思われる男性女性がいらっしゃるのかもしれません。

 でも現実はなかなか上手くいかなくて、実際にセックスを経験すれば「思っていた程よくなかった」「大したものではなかった」となってしまい、その感覚から若い女性の中には「セックスの軽視」「自分自身の身体の軽視」に繋がる人もいます。

「男女平等に不条理なく」はセックスでも同じ

 女性の存在を性的に分類的に嫌悪したり、差別的な発言を当然と思うことを「ミソジニー」と言います。
 ネット上では特に2ちゃんねる周辺で女性に対して嫌悪感を露わにする人たちが多いように思いますが、ネタとかノリで書いている部分もあるかと思いますので、あまり真に受けない方がいいです。「ま~ん(笑)」とか、結構見たことがあるのではないでしょうか。

 

 社会的に、女性だけが我慢したり、また女性だけが「される」ことはなんだかおかしいですね。同じように男性が何かを強制されたり、当然と思われたりすることもおかしいです。本当はもっと自由で、選択出来て、許される社会の方が公平で皆幸せなはずです。

 セックスにおいては、二人一緒に、どちらも、楽しくがんばって、より良くしていこう。それが本来の平等で公平であり、それ以上もそれ以下もないと思います。

 

 ただ男女の差というものはあって、その差をどんな風にフォローするか? という所が色んな面で上手く行っていない現状なのだと思っています。
 その差を無視してただ「男性も女性も同じ扱いに!」 というのは無理な話です。それは男女平等とは言いません。

 セックスにおいては、女性の方がイキづらい。気持ちよくなり難い。性的に放漫になってはイケナイと教えられてきたからこそ、心を開いて快感に熱中できない。

 男性は「大きい方が良い」みたいな価値観が根強いし、遅漏はダメとかヘタクソがどうたらとか、最初から上手くできて当然、失敗に終わったら恥ずかしいみたいな強い観念があったりします。

 

 そんな「差」を埋められるように、今日もまた思いつくままのようですが、このエントリを書きました。みんな色んな事で幸せになれる方がいいです。


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