こんばんは、最近は一生懸命腹を引っ込めても引っ込まなくなってきた瑞谷です基本的には下半身デブです。
セックスというのは、別段好きではない相手とでもできるものなので、好きではない相手とセックスすること自体が間違っているとか、愛があるセックスが正しいとか、そういうことはないと私は思います。
むしろそんなことを言う方がナンセンスというか、「好きな人と愛のあるセックスをすることこそ正義」みたいな正義の鉄槌は、誰も幸せにしないとさえ思います。
好きな人とするセックスの方が多分楽しいだろうけれども、好きな相手なのに全然気持ちよくなれなければそれって楽しいセックスとは言えないし、正しいとも言えない。
むしろ「なんで好きなのに気持ちよくなれないの」呪縛さえ発生しかねない。
そもそも心と身体は別問題です、それは男性の方が感覚的によく理解されているように思います。
「好きでもない人とセックスをする」ことがなぜダメなのか、あるいはヤリチンヤリマンなぜダメなのか。諸々のリスクについてをちゃんと考えて実行できておれば、「セックスを楽しむただの人」でしかないです。
おいしいお食事、快適な睡眠を楽しむ人と同じです。
この現代日本で、そんなに絵に描いたような正しいセックスがどれだけあるでしょうか。
皆、正直したくないなあと思いながらしていたり、それが好きなのか性欲なのか混同しながらしていたり、我を押しつけたり、押しつけられたり、相手だけがオーガズムを迎え自分は当然のようにイけない、本当に色んなセックスがあります。
皆が満足いくセックスをしているわけではないです、残念ながら。
それでも、人はセックスをする。妊娠目的以外のセックスを、恋愛の必要要素のひとつと思い、恋人同士は必ずするものと思い、相手を欲しいと思い、自分の方を向いてほしいと祈る。
あるいは快感が得たくて、誰かと触れあいたくて、漠然と異性を欲して、ただの欲のあるがままに、他人と触れあいたいと願う。
その相手が、誰であろうと、悪からず思っている相手ならば、そして満足が得られる相手ならば、法が許す限り誰とセックスをしたっていいのではないでしょうか。
とかそんなことを書きながらも、私は結局「好きな人と楽しいセックスをして、二人で達することが最上の快感」だと考えています。
だって、好きな人の身体で自分が気持ちよくなれて、好きな人が自分の身体で気持ちよくなってくれる。こんな素敵な事、他にないじゃないですか。
36年生きてきて、これ以上気持ちよくて楽しい満足度の高いことを私は知りません。
だから、基本的には「好きな人と良いセックスをした方が良い」と言う。
だから、良いセックスを現状目指せていないなら、「できたらそうした方が良いよ」と言う。ただただ、それだけです。
そしてこれは決して、セックスをしないことが間違っているとか、セックスは必ずするべきものだ、という話でもないのです。
どちらかが本当は不満に思っているのに、変えたくても変えられない。そういう関係は、とても残念で不健全だ、ということです。