イク演技は身を滅ぼす

書いた人: 妻

 こんばんは、瑞谷です
 最近はパンケーキの研究に凝っていて夫氏を呆れさせています。
 基本的に熱しやすく冷めやすいので、過去にもアホみたいに作ってはパタリと作らなくなったものは数知れず……

 さて今日は、もしかしたら身近なものかもしれない、もしかしたらまったく縁がないかもしれない「女性のイクふり」のお話です。

実際どのくらいのフリが存在するのか

 過去エントリ「大真面目にアンケートやってました」にて、大変に大雑把ですがイったフリをした、もしくはイッていないアンケートを行っていました。

 結果はなかなかに高いものでして(そもそも分母が少ないという問題点はあるものの)、40人中14人程の人が「最近イク演技をした」と答えています。
 皆さん色んな思い、環境、状況があるのだろうと想像ができます。

 また、夫のエントリ「女性のイクふりは見抜けるのか?」では、イクふりはほぼ見抜けない(女性も男性も)という結論になっており、私も同意です。

 私は過去にイッたフリをしたことも、逆の「イッてない演技」をしたこともありますが、どちらも夫には気付かれませんでした。夫のイクふりにも気付きませんでした。(思い返せば、セックス後に精液が出てこないなと思った回があったような気はしますが……)

 ここまで信頼できてお互いよく知っている、本当にちゃんとイッている、イカせているという二人でさえ演技に気付かなかったという実体験からも、実際問題「イクふりはバレない」と結論付けていいでしょう。

演技をしなければならない背景とは

 イクふりに至った理由はきっと、カップルそれぞれにあると思います。

・メディアから影響を受けた「セックス完結のイメージ」を一方/二人ともが引きずっている
・セックスとはこういうものだ、相手の身体や精神はこういうものだという考えを変えられないパートナーである
・なんだかんだプライドを傷つける
・幸せセックスを仮にでも叶えられるのでとりあえずはフリでも良い
・そこまで盲信的ではないにしても、なーなーで来て気付いたらそういう空気を作ってしまっていて今更変えられない
・一生懸命してもらっているのにイケないのが申し訳なくて
・一生懸命やっているつもりだが、実は自分の彼女がイクふりをしているのでは?

 などなど……ステレオタイプなイメージで適当にぶっこんでいるので、個人の想像の範疇でこういう例がありそう?という程度のお話ですが。

ひとつひとつの背景を考えると難しい

 インターネットで見た話なんかは、それが本当に実在するカップルかの信憑性自体、疑わしいといえば疑わしいのですけれども、まあそこは本当にいると仮定して、こんなお話を過去に見ました。

・「チンコ入れてガンガンしてればイクでしょ、気持ちいいでしょ?」という男性の、固まった価値観を変えられず、しんどさゆえに「イッたフリ」をしてセックスを終わらせる。

・「前の彼女はこれでイッてたよ?」と(本当にイッてたかもわからない前カノと)比べられる

 この2例だけでも、ああどうしよう、どうしたら解決するんだろう……と頭を抱えてしまいますね。

 

 人の価値観は、他人がそれを変えてやろうとどんなに働き掛けても、基本的には変わらないです。
 ただし、そこに「自分は変わりたい、変わるんだ」という本人の意思が加われば、人はいくつになっても変わることができます。

 セックスは、究極的には「人と人とのつながりである」。
 セックスフレンドだろうと、恋人だろうと夫婦だろうと、成り立っている土台関係無しに「人と人との繋がりがセックスを作る」のだと思っています。

どうしようもない関係と、どうにかなりそうな関係

 イクふりが慣例になっているカップルを大別すると、おそらくは2種類に分かれるのではないかと考えています。

1) 「救いようのないフリ」

 固まった価値観、偏った知識、平時も「ここはちょっと…」と思ってしまう行動やクセがある、完全に悪人ではないけれども直してほしい所が目立つかな…というような、そもそもセックス以外の面でちょっと考える部分がありそれがセックスに反映されているケースです。

 判断保留のケースとしては「常識人と思われているのになぜか恋人や配偶者に対してだけは粗雑な扱いを見せる」タイプ。それについてを指摘されれば気付き顧みられそうな「出来た人」なのか、指摘されれば「キレる人」なのかは、その人が本当に「良い人かどうか」のラインでしょう。

 そもそも「探求していくソレ自体が面倒臭い」タイプなんかは、本当に救いようがありません。
 最近ツイッターで見た記事、元鈴木さんの「「家事は誰のものか」と考えること」の後半に

 そもそもなぜ家事をひとりでやるのは辛いのだろう。
 そう考えた時、単純に肉体労働だからと言う理由以外では、
 家事は相手に対する関心を映すからだと思うのだ。

 まずは小さなことでもいいので相手に関心を持つことから始めてほしい。
 パートナーに関心があったら、硬いカボチャを切るのに苦戦していたら無視できないはずだし、重たいゴミをゴミ置場まで持っていくのを無視はできないはずだ。

 恋人同士、パートナーの定義は人それぞれと言ってしまえば終わる話かもしれません。
 でも、相手の幸せや楽しさを願うなら、「そんな面倒臭いセックスなんか、演技で楽しく簡単に終われるならそれでいいじゃん」とは言えないはずだ……とは思います。
 自分に関心を持ってくれない人間と、長く一緒にいることはできませんよね。

2) 「改善が見られそうなフリ」

 紆余曲折についてはカップルそれぞれだと思いますが、知識が乏しかったがゆえにそこに至ってしまい、今更照れくさくて言えない、そこまで重視していないし……というようなタイプを想定しています。

 「そう思い込んでいたけれど指摘されて知識を更新できるタイプ」は、純粋に「知的好奇心に満ちている人」である可能性が高そうです。
 知的好奇心の強い人ならそれは探究心に繋がりますので、ただ「言われないから問題視できていない(するべき項目にさえあがっていない)可能性」も考えられます。

 今までの付き合いの中で一度も「指摘をして改善を求める」という行動を取った事が無い……というケースも考えられるでしょうか。
 そういう「一切のいさかいを起こさないようにものすごく心掛けた付き合い方」は、表面的には健全に見えても、結果的にはお互いにとってなんのメリットも生みません。ただ平穏に始まり、最後はどうしようもなくなって終わります。

 人間は、間違えながらも成長していく生物であり、人と自分の間違いを許し糧にして改善しながら生きていける生物だからです。

結局「イクふり」というのはとても不誠実なのだ

 誰が悪いかというと、演技をする側が一番悪いとは思うのですが、そうしなければならなくなった背景をひとつひとつ見て行くと、恐らく「それは仕方ないなあ」と頷いてしまうようなケースも存在するでしょう。

 でも、その不誠実を打破するのは、結局嘘をついた自分自身であり、しかしその後共に頑張るべきは「目の前のパートナー」であるわけです。

「イケなかったね」「次はもうちょっとこうしようね」を言えない関係性を、ずっと続けること……すなわち、不全の関係で身を滅ぼすのは、誰でもない自分と目の前のパートナーだ、ということですね。

「演技をしていました」と言わなければならない現実

 そうは言っても、なかなか言えないと思います。

「実はイッたふりをしていました、ごめんなさい」

 とてもとても難しいと思います。でも、それでも、相手を信頼して伝えるしかない。
 ただし、これだけで終わってはいけません。
 必ず、絶対に、次の句を考えてから切り出しましょう。

「私はセックスで一度も達したことがない。気持ち良いことは良いが、挿入ではそこまで気持ちよくなれない。でも、あなたとのセックスでイキたいと思う。その為に、二人で頑張っていきたい……一緒にがんばってくれる?」

 具体的には、うちのようなブログを使って頂いてもいいですし、参考になるビデオなんかも各種出されていますので(AVではないものを)、一緒に見るのもいいでしょう。

 ただし、一朝一夕で変わるようなものではありません。何度も書いたとおり年齢的な問題もあります。なので、ゆっくりと一緒に歩いていこう――そう言える関係を、築けるといいですね。

「演技をしていました」と言われてしまった現実

 きっと蒼白になるんじゃないかと思います。
 もしくは「どことなくそうかな?とは思っていた」と、案外冷静でしょうか。

 きっと、それまでセックスについて頑張ってきた度合いによって、ショックのレベルが変わってくるのかな? と思います。そうですよね、頑張ってきた結果彼女が気持よくなってくれているという自信が、すべてぶち壊されてしまったら……本当に悲しい現実だと思います。

 または、一部には「自分の彼女は欠陥なのでは」と思う人もいるかもしれません。言葉は違えど「何か異常、平均から逸脱している、普通ではないんじゃないか」という感じですね。
 そういう人は、なんというか、私には言えることが何もありません。

 冒頭に「演技に関するアンケート」を掲載していました。
 率としてはかなり高いと言わざるを得ません。
 googleで「イクふり」について検索してみて下さい。フリをしているという話、掲示板、コラム、アンケート、本当に沢山あります。書き込みの生の声は本当に見ていて悲しいものがあります。

でもやっぱり、二人で頑張りたい

 そこに至った過程は本当に様々で、セックスはこうであるという観念が強くて……私達は無意識の、恋愛・セックスについてのハイコンテクストな文化に生きていて、それを覆すことが難しい状態です。またそれは日本に限りません。

 沢山の女性(あるいは男性も)がフリをしていたり、セックスでオーガズムが得られていない現状ですから、「あなたのパートナーは普通です」と言ってしまってもいいのかもしれませんね。
 「実はイクふりをしていました」という告白は、なんら平常と言えるのかもしれません。

 でも、そこからなんとか「二人で頑張ろう」とすることは、できないでしょうか。
 難しいでしょうか。

最後に

 私は何度も書いていますが、「セックスで二人共がオーガズムを得ることが絶対」だとは思っていません。
 同じように「良いセックスを目指すことが正しい」とも思っていません。

 もっと言うなら「セックスをすることが正しいカップルの在り方だ」なんてこと、微塵も思っていません。

 カップルの数だけ正しさがあるので、セックスをしないカップルも、一方的なセックスでお互いが納得しているカップルもあると思いますし、幸せなんて人それぞれです。

 嘘をつき続けてお互いが幸せなら、別にそのままでいいのです。

 でもこんな辺鄙な所のブログの、こんなしょーもない、いち人間の書いたエントリに、あなたの心が「揺らぐ」のなら、それはあなたが「本当に幸せだとは思っていない」のではないでしょうか。
 または、「あなたのパートナーが幸せだとは思っていない」のではないでしょうか。

 私はただ、自分が女性であるがゆえに、セックスについて自分と同じ女性が幸せになれたらいいと願っているだけです。ただそれだけなのです。


にほんブログ村 大人の生活ブログへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。